cocoyutaka's メモ

半自分用メモ

カドカワ映画の概念化ともいえる「復活の日 VIRUS」を見た

 Amazon Primevideoで「復活の日 VIRUS」を見た。


 特段強い目的があったわけではない。
 トップページで紹介されていて、評価を見るとなかなか★5の評価が多かったので外れではないだろうぐらいの気分で見始めた。
 1980年のカドカワ映画であるらしい。
 タイムシークエンスバーを見ると2時間半もある。
 長い。
 冒頭だけ見て詰まらなかったらやめればいいかと続きを見る。
 1982年10月。英国潜水艦が東京湾に侵入して潜望鏡をあげるシーンから始まる。
 主役は草刈正雄で、学者の役らしい。ちょっとうだつのあがらないな日系の学者のようだ。って若い。
 白人男性らの中にいると、その顔立ちに浮き上がったところはなく、なるほど確かに日米ハーフなんだろうなと思い知らされる。
 さて、ドローンのようなものが飛ばされ東京の映像が浮かぶ。
 ゴーストタウンと化した東京の街中で、ミイラ化した住民の姿がいくつも浮かぶ。
 そしてタイトル「復活の日 VIRUS」と。
 ああ、もう全てわかっちゃった。そういう話なのね、と。
 ご丁寧に字幕で、「1982年秋、人類は死滅した」といった説明まである。
 
 つまりはアポカリプスものなのであった。時代は1980年。ノストラダムスの大予言のブームもあり、このころはやたらと、核戦争による人類滅亡のストーリーが氾濫していた。
 マッドマックスや、その影響下にある北斗の拳も言わずもがな、藤子・F・不二夫SF短編もこれを題材にしたものが多い。
 しかし、1980年頃の映画、しかも監督は深作欣二カドカワ映画と言えば当然タイトルも知っていそうなのに全く記憶には無い。
 見終わってからwikipediaで調べると、25億円もの製作費をかけたが24億円しか回収できず赤字だったとのこと。
 それでも、24億円という規模自体は十分ヒットの部類に入る。
 1980年前後というと、スターウォーズシリーズが始まり、レイダースもあり、日本アニメで言えば銀河鉄道999が1979年で、ガンダムの映画も1981年に公開されている。
 個人的には十分親しんだ作品群が多い時期だ。リアルタイムで見ていなくともその頃はちょうど映画も、暗いアメリカンニューシネマからエンタメ系への転換期であり、80年代に物心を得た自分にとってまさに思い出深いはずなのに。
 実際、深作欣二作品だけでも、1981年の魔界転生 、1982年の蒲田行進曲、1983年の里見八犬伝などはよく知っている。
 原作の小松左京の映画化された日本沈没ももちろん見た。
 
 作品を見終わった後も、考えるのは何故この作品を自分は知らなかったのだろうということばかりだった。
 その内容そのものは最初に思った通りの展開通りで、ウィルスによるパンデミックに加えて、やはり核戦争ネタが挟まり、最後は人類復活の兆しを描いて終了という現代の目からみれば特に新鮮味の無いものだ。
 作品そのもののクオリティは大味なストーリー展開、やや大げさな演技、ロケに金はかかってそうなのだが撮影風景がちらつく小粋さを感じさせない絵作りと、何というか「ザッツカドカワ映画」というものだ。
 というか一般のカドカワ映画のイメージはこの作品が作ったのではないかという気すらしてくる。
 例えば、ウィルスの影響を免れた南極基地が舞台の大きな中心にあるのだが、本当に南極でロケしていることを示すため、流氷とかあえてバックに映すような絵作りが目立つ。いや、分かるよ。せっかく何億もかけた南極ロケなのだから、それが伝わらないとね。
 ただ、その代わりに、例えば物語の間間で、ホワイトハウスの執務室とか、ワシントンにある米軍司令部とか出てくるのだが、そこの絵が比較として「なんかしょぼいな」と感じさせてしまう。
 あと、時代のせいもあるだろうが、拳銃の音が「バキューン」とか実際より甲高い音を立てるのも興ざめだった。カナダロケとか海外で撮っているのだから銃声ぐらい本物を録音できるだろうに。仁義なき戦いで使った音をそのまま使ってるのではないかと穿ってしまう。
 
 まあしかし、それでもそれほど駄作というほどではない。草刈正雄の演技は嫌いではないし、半分以上外国人キャストによる英語の台詞で進むのも意欲的に思える。危機感ない後手後手もすぎるパンデミックへの対処で政府が崩壊してく様子も、当時はそんなもんな認識だったのかなと考えればまあ頑張ってる感じもある。
 
 これは全くの想像だが、当時この映画をみた人もきっともやもやしたものを感じたのではないかと思う。
 全編、「なんか惜しい」という感じがひしひしとおこってしまうのだ。
 はっちゃけ感も無いから、狂気も薄い。上にあげた現在も有名な80年前後の映画との違いはそこにあるのだろう。
 原作はなんと1964年だという。マイケル・クライトンパンデミックものの嚆矢、アンドロメダ病原体よりも前だ。きっと小松左京は悪くない。
 
 おすすめかどうかと言われれば、まあ見てもいいんじゃない、長いけど、という程度の感想となる。故に見返す人が少なく、後世への知名度を下げてしまったのかもしれない。
 
 最後に一つ。
 草刈正雄が南米を放浪するシーンがあるのだが、マチュピチュ遺跡で結構長いシーンが撮影されている。
 遺跡を見下ろす構図とかもう繰り返し見た絵面だったので、そのシーンになったとたん、心で「マチュピチュ! マチュピチュ!」とツッコミがとまらなくなってしまったことをお伝えしておく。サバイバルしてるのに高地の遺跡に寄り路とかしてるんじゃないよ。

 楽しみました。

「彼方のアストラ(アニメ)」を一気見した

 一部で話題の「彼方(かなた)のアストラ」をdアニメストアで一気見した。

 「こんなのSFじゃないなど」の盛り上がりから、異論反論、原作漫画家らの反応などもあり、よくできている作品なのだろうという期待はあった。

 

 で、見た。

 

 実は最初の数話はほぼリアルタイムで見ていたのだが、主人公が熱血すぎて今一つのれなかった。しかし全12話(1話と最終話が1時間拡大版なので実質14話)を、連続してみると、これはあえて少年漫画のテンプレ構成から始まった宇宙ものジュブナイル冒険サバイバルもので、ややロマンスありのSFテイストなミステリ仕立ての親子対決ものな成長物語であった。

 要素てんこもりだが、それを奇をてらわず組み立てているところが実にうまい。ウェルメイドという感じだ。

 多くの人が反論しているが、結局SF畑の人が文句をいっているのは「俺の考えた最強のSF」とは違うので細かくいいつのっているだけで、物語として面白く、最高のSFであってほしいと期待してしまったがための発言だったのだろう。まあ、そういうのはちょっとわかる。どうでもいいなら多分そもそも熱くならない。

 

 ただなんというか、よく出来すぎていること、「実は……でした」という展開のいくつかを事前に知ってしまったせいか、個人的には大きな心の動きはなかった。うんうん、面白いねえ。うまいなあ。キャラもなかなか好感もてる感じだ。でも、まあ、それ以上心から沸き起こるような感想はない。

 ではこのほんの少しのひっかかりは何なのだろうとも考えた。

 

 ……あえていうと、主人公や周りのキャラの言う「考えてもわからないことは考えない」というセリフがどうも自分は気になっているようだ。

 

 メンバーの中に裏切り者がいるらしいというサスペンス状況の中で、主人公は疑心暗鬼になりそうなメンバーに向かって上記のことを言う。うじうじ考えて神経を擦り減らしたりするよりも、生き残るためにたとえ欺瞞があっても一緒に行動をしてゆこうということなのだろう。前向きでよい台詞、なはずだ。

 同時にミステリ的な仕掛けについて読者に「ま、ここは一旦気にせずに」と深読みをさせない、避けさせるような暗示的効果もあるだろう。

 実際、物語の終盤で主人公はその「裏切り者」について気づくという描写があり、そこから一気に謎の解決編に向けて物語が進んでいる(ミステリ的にはそこまでの情報で犯人が分かるはず、という読者への挑戦ポイントにもなっている)。

 

 何も問題ないじゃないか、とも見えるが、言葉とは裏腹に、主人公は上記の描写までに必死にその「裏切り者」が誰なのかを考えていたということになる。言い換えると主人公はそもそも「考えてしまう」人間であり、だからこそ「考えないでおこう」と周囲に宣言したのだろう。つまりはここにはちょっとした嘘がある。

 人を鼓舞したリ、集団をまとめあげるのにちょっとした嘘をつくことは必要だろう。熱血主人公のように見えてそのあたり、表面上のキャラとは少し違う部分があるということでそれ自体はキャラに深みを与えている。

 だが何だろう。そうではあるのだが、やはりちょっとここには物語の展開にあわせた台詞のようにも思える。熱血キャラが「難しいことは考えないでおこう」と言えば通常はそれが作品のメッセージのようにも見られる。そうはいっても考えてしまう、というような描写が「挑戦ポイント」までにもう少しあったならなおよかったなあ、と。

 

 と、以上、あえて文句をつけてみたがこれは荒さがしにすぎない。

 「考えてもわからないものにも考え続けることに意味はあるんじゃないの」という言葉のほうが個人的には好きで、行動としては実際そうなっている流れなのに、表面上にはそれが隠れているというのが何となく気になったというだけの話であり。だってむちゃくちゃ考えてつくられた作品、なのにねえ。

 

 多分この作品は長く評価される類のものと思う。過去のいろいろなジャンルものやSFガジェットについてのオマージュも強く、そういう過去の作品群の連なりを強く意識しているのが分かる。テーマの毒親問題とか、オリジナルとは何か等、今時だ。タイプとしては、「新世紀エヴァンゲリオン」や「涼宮ハルヒの憂鬱」の系列といえばいいだろうか(もっと地味だけど)。

 

 最近何か面白いアニメない?と聞かれたら、広くお勧めできること間違いない作品だと思う。

 

 

 

香港デモから「銀河英雄伝説(石黒版)」を見返した

 香港のデモが続いている。

 2014年の時は3か月ほどで終わった。今回、抗議活動自体は3月からあったようだが、本格的に参加者が集まったのは6月の頭頃からだ。もう3か月はすぎた。しかも、今回のデモのきっかけだった「香港で逮捕した容疑者を中国本土に引き渡す」という条例改正が完全に「撤回」と宣言されたのに、まったく収まる気配がない。

 それどころか、すっかりデモが日常化して、サバゲーに親しむメンバーがてきぱきと前線で活動しているとか、デモのテーマソングが詠み人知らずで生まれ合唱し始めたとか、どこか報道にも切実さともちょっと違うなにかが混じり始めてきた。

 

 そこで、思い出したのが、「銀河英雄伝説(アニメ)」に出てくる「自由惑星同盟国歌」だった。

 銀河英雄伝説は、80年代終わりのスペースオペラ小説だが、OVAとして1988年から1997年まで9年かけてアニメ化された(しかもその後、外伝も数年続いた)。1話30分で全110話という、初見さん殺し作品でもある。

 SFなのになぜか世界名作劇場な雰囲気があったり、全編クラシック音楽がBGM採用されていたり、作画が若干ヘタレなのに反比例するようになぜかゴージャスという、一言でいうと「不思議なアニメ」だ。

 

 物語は、はるか未来、三国志をベースに銀河帝国と、それと150年戦い続ける自由惑星同盟、そして両者の中で漁夫の利を狙う商業国家フェザーン自治領との三つ巴を描いている。もともとは、魏=銀河帝国、蜀=自由惑星同盟、呉=フェザーンというイメージで始まったらしいが、中華圏では帝国=中共(大陸)、同盟=台湾、フェザーン=香港なんて見立てもあるらしい。

 三国志が下敷きだからとか、同盟側の主人公ヤン・ウェンリーが中華系の名前とかで、もともと台湾で人気があり、香港、大陸側へと認知が広まり、おそらく中華圏のアニメ・SF界隈で知らぬものはいないという状況である。

 

 で、その同盟側ではしばしば同盟国歌が歌われる。スターウォーズダースベーダーが出ると帝国のテーマが流れるように、同盟側の描写になるといつも、同盟国歌(をモチーフにしたBGM)が流れ始める。

 そして実際、何度か歌詞つきの合唱シーンがある。当初は堕落した衆愚政治の政治家が、国民に献身を強制するかのように歌われ、後半では圧倒的な帝国包囲網の状況の中で、どこか楽し気に誇らしげに主人公サイドで歌われる。この第86話のイゼルローン共和政府樹立時での国家斉唱はなかなかの名シーンだ。

 

 話を香港デモに戻すと、この香港の当事者で「銀英伝」を知っているひとは昨今の状況をどのように思うのだろうかと、どうしても想像してしまう。

 もともと同盟側のエピソードは、近代民主主義国家がどのようにして堕落してゆくのかという過程を史実を参考にこれでもかと描写している。

 自身の選挙結果ばかり気にする政治家。愛国を叫び他者を戦争へと駆り出させたり、政治的に潔癖であろうとクーデータが始まったり、自国民のデモに発砲したり、今なおつづく「民主国家」の欠陥具合が強調される。

 一方帝国側では若き天才の出現により古い世代が一掃され、ある意味同盟以上の善政と強固な軍事力を持つことで、同盟を圧倒する。以降、ネタバレとなってしまうが、最終的に政治的な勝利を得るのは才能ある専制君主を抱いた側なのである。

 

 上の例でいうフェザーンは真っ先に帝国に飲み込まれる。これを香港に例えるなら、銀英伝の物語は面白くないだろう(しかも物語的にはフェザーンの上層部はあきらかに悪側の描写だ)。

 だが、実際の状況は明らかに同盟側のエピソードと重なる。日本でも学生運動はあったが、今の香港ほどの政治的切実さも広がりも無かった。

 今同盟国歌をもっとも本気で歌えるのは香港市民しかいないだろう。

 

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 以下、蛇足である。

 

 と思いつつも、上述の通り、すでに抵抗歌のようなものもあるらしい。出番はないということか。しかもこれを書く前に銀英伝にアニメを見返していて、これもまた冷戦の名残ある古い時代の史観なのかもしれないとも思いはじめている。

 この作品は、昨年、最初のほうだけ(12話分)リメイクされた。原作よりにしたという触れ込みだが、個人的には政治的要素を薄めただけ、却って離れたように感じる(なお現在過去版は監督の名前から「石黒版」とも言われる)。

 まだ冷戦崩壊間際で、大きな武力対立は今後なくなるだろいうという楽観もどこかあった。事実は、小規模な民族紛争が常に生じ、それは今も収まることを知らない。

 大陸側の住民は香港のデモを快く思っていないという。大陸からの中国人旅行者が香港独立を祈願した絵馬数枚を、取り外して土に埋めたとSNSで自慢する事件までおきた(当の神社の人が指摘を受けて掘り起こしたそうだが)。

 大陸側住人は香港人を金持ちで既にたくさん利権を持っているのにまだ欲しがるのかと嫌悪しているらしい。お祭りめいた態度も気に食わないのかもしれない。ここの圧政からの解放という観点はない。強い中央集権国家への信頼と、そこをどうかけのぼるのか、ということに意識があるのだろう。若き天才の新帝国に集まる臣民の気分であるのか。

 であるならせめて相手にリスペクトぐらいあってもいいと思う。

 

 個人的には帝国から敗残して同盟に来た名将メルカッツ提督的ポジションの人はいないのかと思いながら、もう、既に妄想もすぎると気づき、ここにいったん筆を置く。

「ルパン三世 THE FIRST(3DCG版)」の予告編を見た

 前記事の「天気の子」を鑑賞する際に、「ルパン三世 THE FIRST」の予告編を見た。

 現在、「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」で鑑賞者の多くをざわつかせている山崎貴監督の3DCGによるルパン三世の映画最新作だ。

 なんというか、見ていて恥ずかしいと感じる予告編だった。

 

 山崎貴監督は初監督作の「ジュブナイル」(実写)から一貫してCGの巧みな使い手として名をあげ、ついには「STAND BY ME ドラえもん」でピクサー的な3DCGアニメーションで興行的に成功させた。そのため、上記の「ユア・ストーリー」の話も来たのだろうが、どうにもネットでは酷評が多い。

 その色眼鏡で見た「ルパン三世 THE FIRST」は、まずルックからしNHKの人形劇のようなマペット感が強く不安を誘う。そして宮崎駿版としか言いようのない、ある種素晴らしき外道の「カリオストロの城」の影響を受けまくった演出あたりでさらに目を細めてしまった。

 

 ルパン三世というコンテンツは、実に奇妙な構造を持っている。

 原作のハードボイルド・エログロ世界観、テレビシリーズのスラップスティック・コメディ演出、そしてそれらを否定するかのような宮崎駿ワールドと、この三つがまじりあっている。

 特に最後の宮崎駿路線は、主に90年代のテレビ特番で再生産され続けたが、大半は「カリ城」の劣化イミテーションにしかならなかった。実際2000年代の怒涛のテレビシリーズ復活では、原作テイストをより強めに、全体としてはテレビシリーズ1期、2期のテイストを保つという、脱宮崎臭を目指しており、これはまずまず成功しているように見えた。

 

 という流れの中で、また宮崎路線を入れようというこの山崎貴監督の選択とセンス。駿テイストはジブリ内でも継承できなかったというのに。

 誰の目論見かはわからないが、興行のための作品という印象が強い。

 是非この不安を裏切ってほしいのだが、さて。公開は今年12月だ。

 というか山崎監督、今年「アルキメデスの大戦」(これは実写)も出しているとか、短期間に仕事しすぎでは??

 

「天気の子」を見た

 新海誠の新作映画「天気の子」を日比谷のTOHOシネマズで見た。

 Yahoo映画のユーザーレビューでも賛否両論、それでもすでに興行収入が100億は超えているので、そこそこの出来ではあるのだろう、といった程度の知識での鑑賞。

 で、実際見ての感想はというと「なんだ、そんなに悪くないじゃないか」というもの。キャラクターデザイン、プロデューサー、音楽などの座組は前作「君の名は。」と同じ。こちらは250億円以上稼いだということなので、時間も予算もたっぷりかけたのが分かる、いつも通りの延長線上の執拗なまでに微細でエモーショナルな背景美術だった。

 全編雨と晴れ間の繰り返しな映画だが、特にアスファルトに弾ける雨粒の描写がよかった。過去作の「言の葉の庭」も雨描写が特に印象的だった。過去作の描写もてらいなく再生産できるのも監督の自信の表れなのだろう。

 

 一方、これを批判する、もしくは前作と比べて乗れないとい人の気持ちもわからなくはない。物語の進め方は時折強引だ。例えばなぜヒロインが主人公と親しくなるのか語り不足な感じがする。また、主人公がラストに向かって走りだすと、テンプレ的でちょっとどうかなと気持ちがすっと抜けることもあった。

 

 だが、要素要素は実に、精神年齢の未発達な成人男性(自分含め)のツボをついている。家出、新宿、チンピラ、拳銃、風俗、廃屋、手作り料理、超能力、珍商売、先輩、逃避行、ラブホテル、そして海と街。

 予告で棒演技とたたかれていた、女子大生役の本田翼もキャラにはあっている。充分に面白い映画だった。

 

 とはいえ。

 やっぱりすれ違いだらけで、切なさばかりの俺たちの新海誠じゃもうないんだなあとも思った。「君の名は。」よりかはいつもの新海誠っぽいが、よくもわるくもぐっとエンタメよりだった。きっと次の作品も、大コケはしないのだろう。

 

 なお、既に多くの人が指摘しているが、バニラの宣伝カーが出てきたり、やたらと新宿の生々しい描写が多いので、新宿TOHOでみると(もしくは池袋でもよい)映画館を出た後の既視感がぐっと楽しめるかと思う。

 

 

引っ越し

 6年前に作成したhatenaブログが「豊町ダイエットブログ」。

 あれから何度か引っ越しをして、現在は目黒区某所にいる。

 ダイエットについてももはや語ることもなく(諦めて)、しかしまとまった文章を書かないとどんどん言語能力が下がっていっていく実感がある。となればやはりブログを書くのが一番いいように思える。

 ということでcocoyutakaのアカウントはそのままに、新規ブログを新しく作ることにする。

 正直意気込んで書くようなことも無いので、本当にメモ用だ。何のひねりもなく「cocoyutaka's メモ」とだけ名付ける。