「すずめの戸締り」を二子玉川の109シネマズでみた。
「すずめの戸締り」を二子玉川の109シネマズでみて二週間がたった。
同じ新海誠監督作品の「天気の子」のレビューも書いたので今回も、何かしら感想を残そうとは思ったものの、ずっと何と言えばよくわからずに時間だけが過ぎていった。
人に「面白かった?」とか「お勧め?」などと聞かれたら「よくできている作品で、結構エンターテイメントしているので面白いと思うよ。ちょっとジブリっぽいところもあるかな」などとそれほど悪い評価は言わないと思う。
だが、正直言うと、自分の中で、この作品がうまく消化しきれていない。直接的には、あの2011年の東日本大震災にかなり直接的に言及していることがどうにも受け止め切れられない。
もともと、「君の名は。」「天気の子」と震災を受けた日本を、別の災害として描いてきており、直接的に東日本日本大震災を扱うのは当然の流れではある。
監督のインタビューを読む限りでは、「君の名は。」では震災をなかったことにしていると否定され、「天気の子」では災害を守るより大事な人を守るということでよいのかと非難され、それらを踏まえた上で今回の作品を作ったいう。
すでに公開から一か月以上もたつのでネタバレ全開で書くが、今回の主人公は東日本大震災で母親を失い、母親の妹である叔母と宮崎の田舎で暮らす女子高校生である。
これまでの作品のように、それっぽい災害ではなく、過去の日記の画面で3月11日と記載があったり、そもそも実家が東北の岩手でそこが物語のゴールであったりする。
そういうシリアスな設定の上で、主人公の鈴芽(すずめ)は、夢の中でみたことがあるよう気がする、長髪のイケメン青年と出会う。その正体は日本全国で地震の発生源となる怪物を人知れず封印して回っている神道的な呪術師。
そう、前二作がまだSF的な世界観よりだったが、今回は、現代を舞台にしつつも完全なるファンタジー冒険ものなのである。
物語の構造的には、前半は敵を追って、途中椅子にされマスコットキャラ化したイケメンとのロードムービーで、後半は、その緊急的に封じたイケメンを救うため、自らのトラウマと対峙するという半ホームドラマ的な展開となっている。
映画館では時間をきちんと見られなかったのではっきりはわからないが、原作小説ではちょうどこの前半・後半パートはページ的に半分ぐらいのところにあったので、実質二部構成になっていると言っていいだろう。
特に前半は割とまっすぐ明示的な敵を追ってゆく、アクションあり出会いありの珍道中劇がメインであり、震災によって受けた自らの傷と向き合うという湿っぽいところは少なく、マスコット化したイケメンとの心の距離の接近が主題といっていいだろう。
と、ここまで書いていてちょっと気づいた。
この映画、ストリーライン的にはうっかり開いてしまった封印を閉じなおすという話でありつつ、主人公の成長譚としては母を失った悲しさとむきあって乗り越えるというテイになっているのだが、今回の主人公、最初からかなり強いのである。
というか「生と死は偶然によるもの」と宣(のたま)い、敵に突撃したりと、メンタル的には既に死地を乗り越えた歴戦のソルジャーのようでもあるのだ。
もちろん、表面的な強さの中にも喪失の悲しみや後悔はある。いろいろなシーンに夢のシーンを挟み作劇的には丁寧に拾ってはいるのだろう。
だが、新海誠は本来、むくわれぬ恋のせつなさを描くのを性癖とする作家であった。
それ比べると震災による個人的な喪失の悲しみはそれほど深くは描かれない。
というより、実際に映画を見ていればわかるのだが、冒頭のあたりからのスマホの震災通知アラームで、教室中がざわめくシーンなど、すでに過分に実際の震災のイメージを多く刺激して、正直それ以上、作中で悲しみを強調されたら見てられない。
あまりもストレートな刺激だったので個人的にはちょっと身構えてしまった。
監督はインタビューでこの映画を、震災の直接の記憶をもたない十代に、それを伝えるためにも作ったと言っている。その扱いの匙加減は最大にきをつかっているはずだ。
だが、あまりに生々しい題材だからこそかえって災害による悲しみ自体は遠慮がちになり、むしろ、直接的に描いていない過去二部作のほうがより刺さるの出来になっていたのではないか。無論、これはその時代の記憶を持つ自分だからそう思うのかもしれないが。
自分はこの映画をみて震災という部分よりも、むしろファンタジーでほんのりラブな冒険活劇ものをがっつりやりたかったのでは、と感じた。
椅子になったイケメンは、絶対人間のときにはそんな動きできないだろうといぐらい空中をとんだり、豪快なアクションををこなす。正直ずっとそのままのほうがいいんじゃないのというほどだ。
また、今回の映画では前半は高知と神戸の二か所しか出会いはないが、テレビシリーズなら銀河鉄道999や花の子ルンルン並みに(例えが古くて申し訳ないが)ひっぱれそうな感じだった。
後半部分も、メンバーを叔母(CV深津絵里)とイケメンの友人(CV神木隆之介)と座組を変えてのドライブものになっていて、結局、この日本全国の放浪感がやりたかったのではないかと思うのである。
ということで、本当は冒険ものをやりたいのに、バランス的にそこに震災のシリアスを視聴者へのフックにつかっているように見えて、そこが個人的にはもやもやしたて点ということのようだ。
誤解をおそれず言えばこれは「震災という戦場で幼くして戦士のメンタルにされたすずめの覚醒話」だ。これ結構、攻めてますよね、監督。
以上、しこりについては吐き出したので、よかったという点を他にもあげてみる。
主人公を癒すのは結局主人公自身だという展開は納得感があった。これはある意味残酷なことではあるが、誰かのせいで癒されたり癒されなかったりするよりはよい。このあたりも主人公が強いなと思う部分で、同時に俺たちの新海はますますほんとにいないんだなと寂しく思うところでもある。
だが、彼の性癖はまだまだ多彩なので、大丈夫なところもある。冒頭の廃墟のパートのテーマパーク感、震災後の野原を美しいとキャラに言わせ、皇居のお濠のあたりのねちっこい背景描写、などは相変わらずだなと思う。
「言の葉の庭」で顕著だった、年上女性好きな性癖は今回影は薄いが、主人公の叔母さんも結局可愛く描いてしまうあたりに業の深さがあって素晴らしい。
あと冒頭でも述べたように、今回はジブリ的な部分が意図的に多い。イケメンの顔は「ハウルの動く城」のハウルや、「千と千尋の神隠し」のハクみたいだし、「魔女の宅急便」で使われた「ルージュの伝言」の曲を旅立ちのシーンで使ったりと結構露骨である。
監督は以前、もっと直接的にジブリを模倣したという公言している「星を追う子ども」という作品も作っており、今回はそのリベンジではないかという声もある。
※とはいえ、この作品、冒頭で「トトロ」のさつきの劣化バージョンみたいな主人公が出てきたところで、うっと、拒否状態なってしまい自分はまだ見ていない(できれば比較等してみたいが)。
今回の作品で東宝と約束していた震災三部作は終了となったらしいので、次回作はまた別路線でいくのかもしれない。
キャラクターデザインの田中将賀氏とは相性がよさそうなので、ここは続投しそうだが、どんなジャンルになるのかは未知数だ。
この流れでいくとシリアス度低めの冒険活劇度をあげたものになるような気がするが。神道好きなところからみると、時代劇あたりだろうか……。
最近すぐにいろいろ、つばさ文庫になる。これは学校の図書館入りを目指しているな。